スズノブ

水田は自然の一部
日本の風景・田舎の風景・なごむ風景はと尋ねると、緑に彩られた急な山々、山々と川の間に細く長く続く人々の住居、その横に手前に広がる水田と小川、そんな、水田のある風景などを思い浮かべる人が日本人には多いそうで、それほど日本人にとって水田は、身近な存在となっているのですが、今、その水田が危機に直面しているのです。

川のそばや湧水のそばだけでなく、河川から離れている土地に何キロにも渡って水を引いてまでも、そして、人もあまり行かないと思える山奥の奥にも水田はあります。
その水の中には小さな生き物が生活し、それを食べる小動物がいて、さらにそれを狙う動物たちもいて、それを山や風やお日様や周りの草や木々は、静かに見守っている。

昔から人が自然に手を加えると、自然が壊れるといい、実際に多くの構造物が自然を破壊し続けています。
人の便利だけを考えて、山の奥に人工の構造物を沢山作り続けていることで、本来なら、自然の中で、人とは関係なく暮らしていて動物たちの生活が崩れてしまい、今、動物が人の生活の中に入り込んで、田畑を荒らすという問題が出てきてしまっています。

自然はコンクリートで固められた人工物を、一切認めようとはしていませんが、その中で唯一、水田だけは自然が認めているように感じてなりません。
また、水田に水を張っていると、その周りの気温は抑えられ、温暖化を抑制する役目をしているだけでなく、台風や大雨の時には、一時的に巨大ダム以上の水を蓄えて、街を水害から守る役割りもしているのです。

ところが今、日本中の水田で、生産者は高齢化しているのに、後継者は絶対的に不足しているのです。
さらに、お米の価格が最低価格にまで下がってしまったままのため、お米だけを専業にしていた生産者のなかでは、米作りを諦めてしまうことも多くなってしまったことで、年々放置水田が増え続けていて、山奥や作業が大変な水田ほど、放置されてしまう現状になっているのです。
すると自然は、生き物が生活できるようと、人間と共存していた水田に草木をはやし、1年もしないうちに原野近くまでに戻してしまうのです。
そして、原野に戻ってしまった水田は、生き物たちの憩いの場ではなくなるだけでなく、以前のような保水効果も、気温を抑える抑止機能も持てなくなってしまいます。
その結果が、近頃頻繁に起こっている、土砂崩れや河川氾濫のきっかけの一部となってしまっていることは否定できないでしょう。
日本人にとって自然・環境・水田とは何なのか。そしてお米とは何なのか、もう一度考えて見てはいかがでしょうか

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