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自分の首を絞める縁故米
縁故米という言葉を辞書で調べると『親戚や友人の農家から無料で、あるいは廉価で融通してもらう米。無料の場合は贈答米ともいう。三省堂「大辞林 第二版」より』となっていますが、自分としては、縁故米とは無料でもらうお米だけであって、廉価で融通してもらうお米については、価格に関係なくお金が動くので産地直売:産直(産地直送。産地直売。産地直結の略。三省堂「大辞林 第二版」より)に該当すると思っていますので、無料でもらうお米を縁故米、廉価でもお金が動くものについては産直と位置づけて話していきたいと思います。


消費者にとって、産地から直接しかも無料でもらえる縁故米は「家計を助けてくれる心強い見方」として嬉しいものでもあるし、「生産者の顔が見える信用できるお米」として安心して食べられる、最高の贈り物なのかもしれませんが、消費地からすれば心底ありがた迷惑な贈り物なのです。
しかも、そのしわ寄せは、消費地・生産地だけに留まらず、お米を送った生産者本人にも直接跳ね返ってしまっているという、思いも寄らない現実があるということを知っていますでしょうか。

少々生産者よりの話となりますが、実際に縁故米を送り続けている生産者でさえも「自分の首を絞めているという現実」に気付いていない人が多いので、どうして跳ね返ってしまうのかを、順を追って説明してみましょう。

1. 産地からお米が消費者に届くので、消費者がお米を購入しなくなります。
ひどい実例では、届く日が分かっているので、4〜5日の間お米がなくなってしまったとしても、麺類などでつないでしまい、絶対にお米を購入しないというのもあります。
2. 消費者が縁故米を当てにしているために、米店では思うようにお米が売れませんので、過剰在庫となってしまい、米卸や産地などからお米を仕入れることが出来なくなってしまいます。
さらに、売りにくい産地や品種や、販売予測が立たない銘柄米については、取扱そのものを止めてしまう場合もあるため、マイナーと位置づけられている産地や知名度が無い品種などは、消費地の売場から次々と姿を消してしまっているのです。
3. 米店が売れなければ、当然、米卸などもお米が売れない分けですので、入札があっても売れ残ることを嫌い、必要最低量しか落札しない傾向になっていますし、元々米店が欲しがらない産地や品種などについては、最初から落札しないという傾向にもなっています。
これによって、マイナーと位置づけられている産地や品種については、売場から姿を消してしまうだけではなく、消費地にも来なくなってしまっているのです。
4. その結果、産地が上場したお米は、出来不出来には関係なく不落(売れ残る)となってしまったりします。
これが続いてしまうと、新米の時期になっても、産地の倉庫には1年前のお米がまだ残ってしまっていて新米を入れる倉庫が足りなくなってしまったりする可能性もあります。
最悪の場合は、1年前のお米と新米を同時に売らなければならなければならなくなる可能性も出てきます。
5. 不落を無くしたり、最悪の事態を無くすためには、お米の出来不出来には関係なく、次回の入札時には価格を下げざるおえなくなってしまいます。(完売させるためは現状やむ終えない方法)
これにより、人気の品種は早い時期に完売してしまう事が出来ると思いますが、マイナーと位置づけられている産地や品種、人気が出無い銘柄などについては、最後まで残ってしまう可能性も出てきます。
6. 1〜5が繰り返されることによって、生産者からの買入価格や産地側の販売価格は、どんどん下がり続けてしまいます。
その結果、お米を作るために必要な最低価格をも下回ってしまっているという現実も出始めてしまっています。
7. 当然のように生産者から不満の声が出始めてしまい、全農・経済連・農協などに頼らず、生産者が独自に動き出してしまうようになります。
そして、これが縁故米や産直の始まりとなることが多いのです。
8. しかし、いざ販売をすることになったとしても、生産者がお米を販売していることを消費者は知りませんし、よほどの激安米でない限り、知らない生産者からお米を購入することはありません。
そのため、当初考えていた予想よりも、「売れな」いという厳しい現実に生産者は直面してしまいます。
その解決策として、美味しいお米を作っていることや販売していることを1人でも多くの人に知ってもらうために知り合いに対して、お米を送り始めてしまうのです。
 それで購入してもらえるようになれば良い方で、実際には販売できずに余ったお米の処分として送ってしまっているということも良く聞きます。

1〜8が繰り返されてしまえば、誰が考えても完全に悪循環だということが分かると思いますが、これが10年近く当たり前のように繰り返され、年を負うごとに縁故米の量は増え続けてしまっています。
そして今、お米の価格は、各産地の限界最低価格にまで落ち込んでしまっているのです。

確かに、以前から縁故米は存在していましたが、送られてくる量と回数(白米10キログラム程度で、年1〜2回程度)が少なかったので、全てに於いてあまり問題はならなかったのです。
ところが最近では、1回に送られてくる量と内容が変わってきていて、玄米で30キログラム。
それも年に1〜2回程度ではなく、年間を通して何度も送られてくるようになってしまったために、あちらこちらに障害が出てしまっているのです。

ちなみに縁故米が大量に出回る時期は、4月始め、5月連休、夏休み、お中元、収穫直前(去年のコメ)、収穫直後(新米)、お歳暮、正月です。
特に新米時期は宅配業者の荷台の中は、日本全国からの縁故米ばかりというのが、消費地の現実なのです。

こういう話を生産者にすると、「自分の知り合いに送っているだけだから、たかが知れている」という人が多いのですが、消費地の1人1年当たりのお米の消費量は、長期的に一貫して減り続けて、現在では61.9キログラムにまで減少してしまっています。
この数字を1ヶ月に直すと5キログラム程度。1ヶ月に5キログラム程度も食べきることが出来ない消費地の家庭に、10キログラム送ってしまえば2ヶ月間。30キログラム送ってしまえば6ヶ月間、そのお米を消費するのにかかります。
それなのに、まだ食べきってもいないうちに産地からは次のお米が送られてきてしまい、最後には部屋に入りきらずに玄関までにお米が置いてあるという、消費地と家庭の現実を見つめようとしていません。
また、貰ったほうも遠慮してしまって「食べきれない」という現実を、生産者に対して知らせてはいないのです。
家庭で「もはや置ききれないし、食べきれない」となれば、当たり前のように縁故米のお裾分けが始まってしまいます。
それがご近所と仲の良い家庭であればあるほど、最終的にはその地域が丸ごとお米を買わない地域となってしまうのです。

さらに問題なのは、貰えるだけで嬉しくて、生産者の栽培へのこだわりや、もらった品種名と品種の特性や美味しさを、知らないまま食べているという現実や、色々なお米を食べ比べる機会が得られないために、本当のお米の美味しさを知らないまま、惰性で食べるようになってしまうという問題。
さらに、食べきるだけで精一杯で、美味しさは二の次になってしまっているという問題もあります。

怖いのが、精米してから日数が経ったお米ばかりを食べているので、お米は美味しくないというイメージが、消費者の中で固定化してしまうことです。
さらに怖いのが、この精米してから日数が経った、食味などが落ちてしまったお米ばかりを食べていた、育ち盛りの子供たちが成長していき、やがて独立したときに、「お米を買いたい」という消費行動を当たり前のようにしてくれるのかという問題です。

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